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2008/07/10

海を感じる人

初めて訪れた島とか海沿いの街とかで、「なんかきっと海はこっちの方角にあるような気がする」と思って歩いていくと、やっぱりそこに海が広がっていた、なんて経験が、誰しもあるんじゃないかと思う。

ぼくはこの海の方角を知覚する能力のことをひそかに「海レーダー」と呼んでいる。そう、髪の毛がピンと立って、妖怪の方を向く鬼太郎の「妖怪レーダー」みたいなイメージ。といっても、別にこの海レーダーを、ヒトがまだ海に住んでいたころの太古の記憶が……とか、そういう特別な知覚だと考えているわけではなくて、おそらくかすかに漂う潮の香りとか、意識として聞こえないレベルの波のおこす低周波音とか、空気中の湿気とか、空の景色の開き具合とか雲の形とか、普通に人間が知覚できる情報を集めて、経験則で無意識のうちに分析しているのだと思っている。

ところが、そんな理屈を超えてものすごく「海レーダー」の感度の高い人にあったことがある。その人は、とある南の島でダイビングインストラクターとして働いていた女性で、 もうずいぶんと昔の話になるけど、 ぼくは仕事を通じて彼女と顔見知りになり、その後、いろんな偶然が重なって、ほんの短い期間だったけど、とても親密な関係になった。

彼女は「小さい頃から いつも海がどっちの方角にあるのか感じていて、みんなもそうなんだと思っていた」のだという。当時ぼくは、横浜市の鶴見区というところに住んでいて、初めてぼくの部屋を訪れた彼女に「ここから海はどの方角だと思う?」と聞くと、彼女は「多分こっち」と正しく海の方角を指差した。 ぼくが住んでいた駅の目の前のマンションは、海まで2キロ以上の距離があり、ビルの隙間にスモッグで曇った空がのぞき、駅のロータリーに停車するバスやタクシーの排気ガスと、飲食店の換気扇から漏れる油っこい空気が漂い、パチンコ屋とゲームセンターからけたたましい騒音があふれ出していて、とてもじゃないが海の気配など感じられなかった。「なんでわかったの」とたずねると、彼女は「匂いかなぁ……なんとなく。でもここではかすかにしか海を感じない」と寂しそうに笑った。

その後も、バイクに彼女を乗せていろんな場所に遊びに行ったりするたびに、海の方角を聞いてみたのだけど、彼女はいつも驚くほど正確に海の方角をいいあてた。しばらくして、ぼくは彼女の海レーダーが錆び付いてしまわないように、海の近くに引っ越そうと決心したのだけど、ほんとうに海から徒歩5分ほどのところにアパートを借りたころには、彼女はまた南の島に帰ってしまった。

たぶん彼女が海の方角を正確にいいあてるのは、ずっと海のすぐ近くで働いたり生活したりしていたから、海の匂いや音などに対して人よりも敏感で、さらにその情報を分析する経験則も人より高いからなんだろうと思う。いや、もしかすると彼女には、体の中に海を知覚する特別な器官があったのかもしれない。どちらにしても、ぼくには彼女が海に選ばれた人のように思えて、とてもうらやましかった。

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コメント

切ないお話ですね。
青春のなんとかというのでしょうか。

投稿: まろん | 2008/07/17 00:29

>マロンさん

どうも。
こういうの書くのは照れくさいですね。

投稿: アイス | 2008/07/18 00:28

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